2012年1月21日 (土)

新しいのでおめでとう!

連想ゲームというか、芋づる式というか
記憶というのは、つながっている。

なので、3月とか5月になったというだけで憂鬱になったり
人前で何かしようとすると自動的に緊張したりする。

意識に登る前に無意識で3月といえばアレだ、人前といえばあんなことがあったと
癒されていない傷の穴にまできちんとコロコロリとたどり着いて、ベルを鳴らす。

もうあれは終わったことで、もうアレは解決済みではないかと
苦い思い出をまたかみしめて、時間を無駄にするばかりか

せっかくの新しい創造体験にいらぬレッテルを貼って台無しにしてしまう。

番組の視聴率が翌日にしか、わからないように
今まさに行われようとしていることは過去とも結果とも評価とも違うものだ。

「過去を許し、過去から自由になります」
このフレーズを12回繰り返す、僕のヒーリングコード。
ふと、過去の痛い失敗が蘇り、そして、消えていく。

この仕事をもう何十年もやってきた。
色んな経験をして、賢くなった。
何をどうすれば上手く行くかを僕は知っている。

新しい年は始まっていて、そして、新しい体験は始まっている。

それは、それはおめでとうございますと祝わざるを得ないものに違いない。

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2011年12月31日 (土)

緊張を押し退けるエネルギー

おっととcoldsweats01
今年のまとめは今年のうちに
18日に終わった舞台のことを。

予想通り脚本の良さは多くの人から賞賛された。
連続する笑いはうねって爆笑となった。
観ていて気持ちが良かったとコメントしてくれたり
三回も観に来てくれた人達もいた。
コメディとして成功したということだろう。

それはそれとして

セドナメソッドとヒーリングコードは芝居の僕にどう働いたのか。

さて
お芝居はまず、台本と演出があって
それに従って演技をする役者に
ダメ出しをすることで作られていく。

役者は演技で世界を作りその世界を生きる。

役者はまず話を解釈し、演出を理解し、台詞と行動を覚えて流れに乗る。

今回は宮城から娘に会いに上京して来たお父さん「アキオ」という役。

頭の中で台詞が回りだして来れば
自分の中のエネルギーが「アキオ」を表現し始める。
それを意識は観察し、自己評価して満足したりしなかったりする。

演出からのダメ出しをそのまま意識がエネルギーに伝える。
そこで解釈が変われば、行動が変わり、芝居が変わる。

まず稽古で恥をかかなければならない。
稽古で自分を変えていくことでしか芝居の欠点は直らない。

その時出逢うストレスは
自意識からの抵抗に他ならない。
自分がどう評価されているかは世界を作るのに何の役にも立たない。

エネルギーを制限する破壊的記憶を癒し、抵抗を手放す。
「人、物、環境に期待せず自分を愛することが出来る」
そう繰り返しヒーリングスポットにエネルギーを送る。

脚本と演出と共演者とエネルギーを信頼し、任せる。
役は演出の目の前にあるのと同時に自分の中にある。
芝居は役者の内面に創られていくのだ。

本番初日にもエネルギーが降りてきて役を生きた。

ところが観客の洗礼を受けたせいか終わっても流れ続け
眠ろうとしても寝付くことが出来なった。

布団の中でエネルギーは舞台を繰り返した。
その走り出しそうなエネルギーを
僕は足を上げ腹筋をし続けて放出し
ヒーリングコードでなだめた。

6分間をはるかに越えた腹筋ヒーリングコードは
自律神経に届いたのか、なんとか筋肉的限界の後、リアルな夢の中へ。

つまり本番中に流れてくれるだろうエネルギーは
本番前の緊張している時にも流しておくことが出来る。
蛇口を締めたり開けたりする必要はないのだ。

緊張というのは間違っているよというメッセージだ。
気になるところをきちんと修正出来たのなら
間違っている状態に居続けることはない。

駆け出したくなるようなワクワクの状態で舞台に飛び出して行けばいいのだ。

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2011年12月 3日 (土)

傷だらけの才能

さて、びっくりする程の検索数にお応えして…

ヒーリングコードは何か問題を抱えていたり、
病気などの症状が出ている人や場合にだけ行うものでなく、
普通に問題無く過ごせている人がやっても効果を実感できる。

「奇跡を呼ぶヒーリングコード」を読んでもわかるように
また、自分でやってみてもわかるように

傷ついていない人なんてどこにもいないのである。

身体の怪我や傷は日に日に治癒してゆくのに
昔のちょっとした心の傷は、そのまま残っていたりする。
そしてその傷の積み重ねに耐えかねて人は諦めたり逃げたりしてしまうのだ。

ひとつの心の傷を治すことが出来たら、おそらく人生は変わっていくだろう。


ヒーリングコードをやり始めて毎晩凄くリアルな夢を観るようになった。
きっちり閉じていた蓋がゆるんできているのだろう。
そして、よくひとりで鼻歌を歌い出すようになっていた。
何か不安を感じることがあってもズキッ!とは来なくなった。

なにが癒されたのかはよくわからないが
なにかが癒されたのだという気はする。

僕のヒーリングコードはそんな風に始まった。

なんとかかんとか俳優を続けてはいるものの
思い起こせば、どんだけ失敗してきたことか。

やっぱり、傷付けちゃってるよね、
俳優として必要な資質がいろいろたくさんあるとして
たぶん、おそらく全部、傷だらけなんじゃないかなと思う。

でも大丈夫。


僕にはヒーリングコードがある。

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2011年11月24日 (木)

ヒーリングコード参入

セドナメソッドで検索してこのブログにいらっしゃる方が相変わらず多いのだけど
これからは「ヒーリングコード」についてもブログっていくことにした。

ヒーリングコードは頭にある4つのヒーリングスポットに
指からエネルギーを送り細胞記憶を癒やす作業のことだ。
四カ所を30秒毎にめぐり6分間で終了する。

眉間やこめかみに指先を近づけたボーズは独特で
人目には奇異にうつるかもしれない。

なので暇な時というより一人で集中出来る時にやる。

そんな毎日が続くと、どう変わって行くのか。
どうも変わって行きそうなので
それをレポートしてゆく。

内面だけでなく、結果が出ると思う。

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2011年11月19日 (土)

こども

たとえいくつになっても、自分はまだ、こんなものではない。
まだまだ成長するのだからと自分の可能性を信じられたなら
「限界」は目の前から消え失せる。

こどもは可能性の固まりだ。
日に日に成長し大人たちを驚かせる。

まだ何者にもなっていないのに
子供が出来て親になってしまうと
その可能性にその責任に、ふるえる。

意識的に生きるのだ、とここ何年か思い続けている。

親が子供を上手に育てるように
無意識が持っている大きなエネルギーを
意識的に仕事や生活に上手に活かしてゆけたらいいなと。

邪魔しない、傷つけない。
理解して、尊重する。
出来ない勝てないと限界を設けない。

その責任は意識的な僕がすべてしっかり負う。
その一瞬一瞬を見逃さない。

あぁ、そうかそれが愛するということか。
ひとは可能性を愛するんだね。

Kodomo

写真は愛すべき自分

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2011年11月 9日 (水)

大和優雅

Hutarisibai

遅ればせながら告知です。
◯「大和魂vol.1~shibahama~」前売り券先行予約
11月1日の午前11時から、「大和魂vol.1」の先行予約を数量限定で受け付けています。
受付はネット予約のみ、各日各回ともに限定枚数に達し次第、受付を終了いたします。
11月1日の11時以降、ワニズホールのHPから予約して下さい。
料金は1枚2000円(全席自由席)
その他、詳細はワニズホールのHPでご確認ください。
ワニズホールHP


『大和魂vol.1~shibahama~』

場所★新中野ワニズホール
日程★3日間5公演

12月16日(金)
夜の部19時開演

12月17日(土)
昼の部15時開演
夜の部19時開演

12月18日(日)
昼の部15時開演
夜の部19時開演

作品と出演者
☆『スイヘーリーべ僕の船』稲村優奈、中山雄介
☆『彼女のパパ』大平隆行、牟田浩二、
☆『最後のラーメン』花村怜美、徐頼子、
※ストーリーテラー=原田果奈

と言う訳で、稽古が始まってしまった。

父と子をこだわり描き続けてる大和優雅監督初の王道コメディ。
誰もが通ってきた甘酸っぱい道を
誰もが笑わずにはいられないくすぐったい所を
分け入り突き進む快作「彼女のパパ」

この新作の内容を知ってるのはまだ三人だけだけど

ということは三作品どれも面白いと言うことになるね。

12月16日が待ち遠しい。
「大和優雅ってすごいかも」ってことになるね、これは。

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2011年10月28日 (金)

行き詰まると

Jugusomicro

途中でこちらも行き詰まっていたジグソーパズルを作る。
思うようにはならない外の現実は
パズルのピースとなって僕の指先と頭でくるくる回る。

傷ついてしまっていた。
圧倒され、自信を無くしていた。

自分で色んなプレッシャーを作り出しては自分を邪魔していた。

無意識からのエネルギーを意識的にコントロール出来るつもりだった。

焦って準備を怠ればこのザマだ。

プレッシャーを取り除くスピードより
プレッシャーを次々と作り出すスピードの方が早い。

結局、自分でこの惨たんたる状況を作り出したのだ。

苦しい。


楽しく生きていこう。

楽しい、そう感じたからここまでこの道を来た。
他は何も要らない。無くていい。
イライラすることも焦ることも
勝つことも自信も自分らしさも。

目の前のパズルを見つめる。
ただピースを見つめる。

そうやって進んで行こう。

ただ楽しく生きていこう。

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2011年10月19日 (水)

こころのとも

母が、自分の状況を説明しようとして、
友達が言ったのよ、と言う。

認知症と言うか内面の話をもう少し。

特に短期記憶すべき事柄があやふやになって来るのだから
嘘と本当もあやふやになるのもしかたない。

でも心の声は届いている

繰り返し行動を邪魔する声、あるいは優しく導く声

どの声について行けばいいのか。

時間軸にのっとり
外であったこと内にやって来たことの区別を付けて僕らは
自分としての一貫性を保っている

誰かから聞いた言葉と内なるつぶやきの違い。
それは僕らにとってもあいまいだ。

自分を不安にさせる言葉に繰り返し苦しむこともある。
慰めて、元気づけてくれる声もあるだろう。

そんな声を友達と認識した。

今やっていることは友達に言われたこと。

こころの友だけが母をそして僕らを導く。

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2011年10月12日 (水)

多幸症

認知症は進行性の病気である。
だが人それぞれで、百人百様の進行があり症状がでるという。

記憶がどうのと、言ってるのは初期。
深刻なのはそれが運動機能や基本生活に及んでしまうことだ。
話すこと、動くこと、食べること、排泄までも
脳が、生きていくことを忘れてしまう。

認知症の解説を見てみると
混乱期を抜けた末期に多幸症が現れる。それが救いだ。とか
感情失禁の症状がでることも、とある。

母に変化が現れ買ってくるものが人参ばかりになってから5年は経つだろうか。
「忘却とは忘れることなり」
えっ、忘れたの?と聞く度に笑って繰り返していた。

どうなってしまうのだろうと心配する僕らをよそに
疑惑と不安の混乱期をあっという間に潜り抜けた。

感情失禁、良いと思う。

子供のように笑い、子供のように泣く。

役者にとってそれは学ぶべき名演技だし

そこに何かの理由があって出てきた感情をそのまま見せることが出来るなんて

これは症状というべき異常なことだろうか。

この方が人として自然なのではないか。

そして多幸症。
僕らは迷わずためらわず振り返ることなく
そこを目指す。

幸せが多すぎる。嬉しすぎる。楽しすぎる。
そんな病気になってしまって

母の人生がそこで完成する。

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2011年10月 6日 (木)

フォーカスフレーム

前の集中筋からの続き。

なんでオーディション受かんないんだ!
という問いかけよりも
今回のオーディションは何故、受かったのか
を振り返る方が実りがある。

やはりヘマをしなかったからかな。
オーディションは基本減点方式。
牟田さんはお医者さんに見えますねとかと言われ
ポイントゲットしたつもりで
調子に乗ってつまらないことを喋ってれば
減点されて、さようならだ。
医者に見えて当然、芝居も出来て当然。

低価格のポーラルホワイトニングをしていた。
歯も黄色いと減点だ。

審査の時に心を静寂モードにした。
ソフトバンククリエイティブから出ている引き寄せ本
「願いを叶える7つの呪文」の
フォーカスフレーズで
意識を呼吸等に焦点を合わせていくことで
心のざわめきを忘れることが出来る。ざわめきは色んなことを邪魔するだけだから。

フォーカスフレーズの一番目
私は喜びあふれる内面に焦点を当てることを選択します。
と喜びをまず見つける。

喜びの感情というのはとても扱い易いエネルギーだ。
状況によっては見つけにくいこともある。
イライラや怒りの方が見つけやすい。
自分自身というのはエネルギーのことではないかと思っている。
優しいやつというのは喜びの感情に日常的に焦点を合わせられるやつではないかと思う。

そして演技。
これは方向性だ。ゴルフのアプローチみたいに最低限方向がピンの方を向いてればいい。
インスピレーションが来てホールインワンしてしまったと思うこともあるかも知れないけど、あくまでも大事なのはピンだ。僕らではない。
だから例え落ちたって気に病むことはないのだ。

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2011年9月28日 (水)

山登り

Isiwari

シルバーウイークに家族で山中湖に行った。
台風15号で湖の水は溢れ、濁流の爪痕は至る所にあったけれども
山中湖周辺では一番高いという1140Mの石割山に登る。

写真は山頂手前にあるパワースポット石割神社の石の字の形に割れた御神体。

この岩の周りを三回廻ると運が開けるんだってよとうちのカミさん。
しかも俳優の祖アメノウズメが踊った天の岩戸という説もある。

そりゃ、登りゃないかんです、廻らにゃいかんですsweat01

「なんか山登りってワクワクするね」という息子を連れ
403段の石段を登りロープを伝って山頂を目指した。
「登山ってやみつきになるらしいわよ」というカミさんは
今回、熊よけの鈴と登山用杖を登山ショップで買ってきた。
すると、息子が「何故人は山に登るの?」と聞いてきた。

答えは決まっている。「そこに山があるから!」である。

目の前に山があれば登るしか無く
頂上まで来たら、あとは下る他ない。

何のために?どうして登らなきゃいけないの?というのは愚問である。
その答えに上り坂を後押ししてくれるパワーは無い。

それはまさに、何故人は生きるのかと問うようなものだ。

僕がかじった哲学では「何故人は…」という問いかけに対し
「人は人生に対し問いかける存在ではない」と答えを出した。
逆に「人は人生からの問いかけに答える存在である」というのだ。

人生からの問いかけに答えるというのは
どういうことだろうと石段を登り、
こういうことかなとロープをつたって斜面をよじ登る。

問いはいつも、目の前に立ちはだかっているのだから。

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2011年9月21日 (水)

集中筋

走っていると手持ち無沙汰なように
「意識」は目に見えているものを追い
時に過去の記憶に戻り、また先行きの想像に一喜一憂する。

意識が何に焦点を合わせているかに依って、走りは変わる。

走っている時はこの今の身体に意識を集中させやすい。
でも足の痛みを意識すれば、速度を落とそうと思う。
胸の息苦しさも、横っ腹の痛みも、もうこの位でやめとこうかと提案する。
そんな走りを制限することしか思いつかないのならば、
意識を周りに向けて気を紛らわせていた方がましだ。

けれども、背筋を伸ばし自分を走らせているエネルギーに気づけば
身体も気分も軽くなって、まだまだ走れる
もっとスピード出してみようかと楽しくなる。

今ここの、このエネルギーに集中する。

「ベストキッド」でジャッキーチェンがジェイデン・スミスに
気をそらすな、常に集中していろと言っていた。
カンフーはまさに闘いのエネルギー。
どう戦えばいいかもすべてエネルギーが知っている。
そのエネルギーに常に意識を持ち続けろというわけだろう。

このエネルギーには情報もくっついている。
電気みたいに、光ったり、発熱したり、動かしたり出来る。

芥川の「戯作三昧」で滝沢馬琴が流れる光を小説にしていった様に
そのエネルギーは深く何を書けばいいのかも知っているし

歌だって楽器だって、操縦だって何だってエネルギーに乗っかった方がいい。

エネルギーが流れている人を見ると、自分も元気になる。
誰もが自分のエネルギーと同調すればもっと皆な楽しくなる。

弁天さんの「信念」は?という問いかけに答えるとすれば

僕の中にあるこのエネルギーを意識的につかめる俳優で在ることで
観たみんなが各々に自分のエネルギーに満たされたらいいな、と思う。

僕にはセドナメソッドがあるし
エネルギーを制限するものはひとつひとつ摘んで手放せる。
あとは、集中し続けられる筋肉。
それがついてれば、それを日常的に鍛えれば、いいのかなぁ。

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2011年9月14日 (水)

シナリオ講座という点

3月の震災で封切り映画館が倒壊し、一般上映を見送っていた
大和優雅監督の「つるしびな」が宮城県大崎市の
シネマ・リオーネ古川で、11/12(土)~25(金)に上映されることになった。

こんなことがあったシリーズで恐縮なのだが
1996年という年は1月の新宿タイニイアリスでの作演出「クロスアンドフライ」上演
で始まり、脚本をもっと上手くなりたいと僕は4月から作協シナリオ講座に通った。

ドラマライターとしてこの時の体験は大きなものだった。

基礎科、研修科と共に学んだメンバーは皆強者ぞろいで
僕の書いていったものは
皆の辛辣な批評で毎回蜂の巣になった。
だが、15年経った今でも交流がある。
それはその12月に僕がそこで知り合って速攻結婚したということもあるのだが
みんながみんな今でも書くことを辛辣に続けているからだろう。

ウェブで見てもらってもわかるがその期はかなりの高確率で皆がシナリオ賞を取り
かなりの高確率で皆がプロのシナリオライターになった。

その一人大和優雅くんは1996年「つるしびな」の初稿をその習作として書いてきた。
はたち、とかだったかな。僕とは品評会の班が違ったので詳しくは知らないのだが
そこで確かな手応えを感じたのだろう。評判はかなり良かった。
今回観てもらえばわかるが奇跡のような脚本だ。
そして15年。
あの時結婚して翌々年生まれた息子は中学生になっている。

かろうじて役者は続けている。
来る12月には大和優雅監督作演出の芝居にも出させてもらえることになった。

シナリオ講座という点

それは僕にとって今も非常にアクティブで刺激的な点だ。

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2011年9月 7日 (水)

願いをひとつ

Mikosama

近所の神社の願いを叶える巫女さん人形。

願わくば…何だろう?

何か強力そうな巫女人形

さぁ、願いを叶えますよ!
と言うことになって

僕は何を求めているのと戸惑う。

お願いを間違えないように!

焦っているのは歳のせい?

今、僕を妨げているのは何?
幸せに好きなように暮らしてて、
ここには何が無いあれが無いと、探しているの?
感じているのは内?外?

えーとつまり、もっと、と言うことかな。

もっと年収を上げる
もっと家族にいい暮らしを
もっと売れてる役者に
もっと大きな役をやらせてもらおう

勿論、役者人生は後戻り出来ないけど
行けるとこまで、たどり着くだけ。

何か自分自身が求めていることが
実は自分で判っていないんじゃないの?
もどかしさはどこから?

過去の点をつないで線を引けと言うジョブズの指針にドキリとして、
なんか外れてしまったように思うのは何故?

外の何かに焦り、内の何かを諦め、外の何かにすり替えようとしてる?

自分は何がわかるようになったの!?
どんな大人に成りたかったの?

願わくば!願わくば!

妨げているものを飛び越えて僕に、天啓を


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2011年8月31日 (水)

目覚め

Maruen

楽しかった大学生活。
「こんなことがあった」シリーズを考えていると
大学でのいろんな出来事が思い出されて楽しくなる。

教育学部教員養成課程だったから
地元の小学校の先生になるものと誰もが思っていた。

その頃は採用状況も百%だったから
先生ではなく、役者になるという選択は

ただ自惚れていたのだろうし
社会を甘く楽観していたのだろうとも言える。

だだ、大学の演劇部で僕はやっと自分自身と出会った。
遅ればせながら、ここで僕はやっと目覚めたのであった。

文化祭の出し物だったと思う。
イントレ(鉄パイプ)とブルーシートで芝居小屋を作り
いくつかの寸劇を上演していた。

僕はチャオリンという中国人のオバサンのストリッパーだった。
むちゃくちゃな中国語をしゃべって観客にからみ
着てた着物を脱いでいくという即興パフォーマンス。

ただのコンパ芸のような出し物だったが
演じ始めた瞬間、狐が憑いてしまった。
もの凄いエネルギーがやって来てその場でドラマを作った。
僕はでたらめな中国語で怒り、笑い、泣いた。
意図したものは意識的な作為は何もなかった。
流れの中で僕はチャオリンの身上に怒り、笑い、泣いていた。
すべての着物を脱ぐという瞬間、暗転し舞台に着物だけが残り終わる。
役者には伝えるべき話があり、それを演出している自分も同時にあった。

観客にもそれは伝わった。
見ていて興奮したと僕のチャオリンはしばらく語り草になった。

自分ではないチャオリンが自分を開放した。
演劇ではこれを飛翔或いはインスピレーションと呼び、
充分な稽古という滑走があって初めて
飛ぶことも出来ると考える。

スタニスラフスキーシステムもこのインスピレーションを
どうしたら毎回の公演で得ることが出来るのか
という命題に答えようとしたものだ。

僕の中にすごいキツネがいる。
それは僕にとって、かなり大きな体験だった。

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2011年8月24日 (水)

テレビりょく

夏休みということで
家族で、お台場合衆国に行った。

平日だったが、混雑していて行列に並び続け、
フジテレビ本社屋を回るだけで日が暮れてしまった。

テレビ局をテーマパークにする。
人気番組をブース化というかアトラクション化する。
今だけのここだけの情報を提供する。
ショップや商品と連動させる。

日本経済の一端を担うフジらしい催しで
ウチでゴロゴロしてれば使わなかったはずのお金を
ここに来たが故に支払う必要に迫られまくってしまう。

あ、これ見てる知ってる好き好き!というテレビの力が
すべてのアトラクションと商品に魔法をかけている。

放送という当たり前の情報源。
みんなが観ているというテレビ番組。
歓声と人混みの中で実感した、そこにあるちから。

役者をはじめ業界人の生活費も
広告代理店が高層本社ビルを持てるのも
もちろんメーカーが利益を上げられるのも
その大きな力があってのこと。

テレビを観て気分を変え、テレビを観て生活を変える。
もしかしたら、この僕もこれからどう生きて行くかを
テレビドラマを観て決めて来たのかもしれない。

自分の力ではないその大きな力を僕は受け入れているのだろうか。
Megami

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2011年8月17日 (水)

高校のど自慢大会

こんなことがあった。
高校三年の時のことだから
もう30年ほど前のたった5分間の出来事。

確か生徒会主催のイベントで
学級対抗のど自慢大会というのがあった。

観客は在校生だけだったと思うので確か文化祭とかではなかった。

体育館の舞台で在校生五百人程を前に
学級の代表者が順番に歌を歌うという
しょぼい企画であった。しかも伴奏なし。

僕はビートルズの「oh! darin」をひとり歌った。
レコード「アビーロード」は繰り返し聴いていたし、
かなり練習もした。
歌っている本人には頭の中で感動的な伴奏が鳴っている。
が、しかし…

おう!だーりん!ふぇんゆうぎーみ!!

『英語かよ!』

と野次が飛んで、笑いが起きた。

『わけわかんねえ!!』

頭の中の伴奏が鳴っている間の静寂 歌 静寂

『まだ終わんないのかよ!』

かなりの間の後、突然歌う僕は笑われ続け、野次られ続ける。

『まだ歌うんかよ!』

爆笑。おお受け。

英語の歌声と野次と笑いが代わる代わる響く体育館。

歌い終わり、頭を下げるまで、5分程の出来事だった。

僕の次は男女のペアがデュエットで有名な演歌を歌った。

野次は飛ばず、大きな拍手と歓声があった。

この体験。

僕はこの後、大学の演劇部に入り舞台にまた上がる。

そして、僕をして佐賀から上京させたエネルギー。
今も尚、僕をして役者をやめさせないエネルギー。

自分は舞台の上の人間であり
客席側に座って笑ったり野次を飛ばしたりはしないのだという決意。

思春期の自意識過剰の僕のその時の必死の決意。

その怨念のようなエネルギー。

でも、もう三十年も経ったんだ…

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2011年8月13日 (土)

邪魔を吐いて手放す

毎週水曜の更新と宣言したのに
今日はもはや金曜日。
木金の仕事の準備でブログを書くどころか
ネタさえ浮かべられなかった。

仕事の時は仕事の雑感を書きたい。

台詞が割とあったので

セドナメソッドで台詞を入れた。

リラックスを妨げているものは手放す。
焦り、不安、恐れ、失敗の記憶。

台詞への疑問や抵抗も邪魔になるだけ

何もなければ台詞は込められていたイメージを産み世界を作る。

自主練でもセドナメソッドで掃除して心の中に神聖な稽古スペースを作る。

頭の中で台詞をぐるぐる回してイメージが納まる所を見届ける。

準備8割現場2割。

現場の声をひとつも洩らさず
エネルギーという自分と
繋がり続け
イメージをエネルギーが実現化していくのを
邪魔しない。
制作が持っていたイメージは
果たして実現したのか。


余韻の中に答えがある。

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2011年8月 3日 (水)

作業手順

自分が撮影されている
5分以内のショートドラマ
泣き笑いが同時に来る瞬間があり
自分が経験した実話であること
台詞と役作りに力を入れ
撮影技術的なものに凝らない

つまり自分がこれまで経験したことをどんどんリストアップし
それがどんな「点」であったのかをはっきりさせ
それをドラマとして成立させる

さて、こんなことがあった。

とプライベートな出来事を書きだしてみているのだが

さすがにプライベートすぎて
ここには書けない

たぶん状況も事情もうまく伝わらないだろう

そういう意味で
自分の実体験だけを歌う
古内東子はすごい。
シンガーソングライター
はみなすごい。

アクタードラマライターとしては
この壁をまず乗り越えなくては

ショーン・ペンのアイ・アム・サムという映画があった。
Pen
知的障害者の父親から子供を引き離そうとする社会という話だが

ちょうど息子も三歳ぐらいの時でその中の
「自分の子育てが十分だと思う親なんていない」
という台詞に滝のような涙が出たことを思い出す。

とお茶をにごしておこう

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2011年7月27日 (水)

点を繋げて道をつくる

ジョブズの演説
三つの話はどれも自分の人生の指針にしたくなるような
内省的で感動的なスピーチであるが
その中の「過去の点を繋げて道を作れ」という言葉が
僕にとっては一番 ヤバい。
これを観た時、あっ、今人生間違えてるっ 
という思いがヨギッたからだ。 

その作業をさけて通ることはやはり出来ない。

これから、①お話を作り
     ②シナリオを書き
     ③カット割りとかして
     ④撮影して
     ⑤編集して
     ⑥作品にして
     ⑦公開する

という作業をしてゆくことにした。
それはそのまま、過去の点を繋げる作業となるはずだ。
 
振り返ると、人生を変える、変えると息巻いていたが

なんだ、そういうことかと腑に落ちたりする。

なるほど、これでいいのだ。

暇があったら作品を考えてればいいのだ。

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