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2018年7月22日 (日)
オーディションセブンG
俺たちはオーディションに受かりさえすればやっていける。生きていける。
たとえ、昨日現場でNGを連発してしまおうとも
最低の下手くそ俳優だと罵倒されようとも
終わりではない。
今日、このオーディションに受かれるなら、来週に仕事がある。
8割行ける。
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2018年7月21日 (土)
2018年5月 9日 (水)
2017年4月11日 (火)
2016年3月12日 (土)
続・オーディションセブン
前にオーディションを分け、それぞれのポイントで自分らしい手応えを得よう、という「オーディションセブン」を書いて一年ほど経った。
それから50本ぐらいは受けたので、そろそろバージョンアップ版を作ろうと思う。
その50本の中で4本のオーディションが、撮影中の中抜けで受けたり、終わって駆けつけて受けたりしたものが、4本とも受かっていた。これはどうしてだろうか。
本番での演技とオーディションでの演技。続けてやれば似てしまうだろう。違えているつもりはなかったが、やはり違っていたのか。
つまり、オーディションでの演技が本番での演技と違っていたせいで落ちたこともあったということだ。
違いの一つ「これでいいかな、これでいいや演技」をオーディションでしていた。もちろん、その手抜き加減は自分にしかわからないが常に排除するしかない。
二つ目、このオーディション、受かっても受からなくてもいい。本番とはすでに受かって仕事にありつけているものだから、そういう力が抜けて自然な演技が出来たのかも知れない。
三つ目、流れと勢いがあった。もちろん本番の方が準備期間が長いから無意識的なものが加勢してくる。
四つ目、やった、このオーディション受けれた、ラッキーと思って受けていた。
五つ目、自分は仕事している俳優ですのでという自信が出てた。さりげなく。
しかし、二つ目の受かっても受からなくてもという意識はそもそもオーディションセブンで意識的にオーディションに受かってやるという考え方にそぐわないのではないか。と、いうことは受かりたいというやる気はオーディションに要らない意識なのか。自分には必要だが、審査員にはうざったいのだろうか。とりあえず、やる気は隠す。ということで
あと、僕の中で変わった意識がある。
200回読んで撮影に挑んだ「テイク8」という短編映画が映画祭でグランプリを獲ったことで、努力するとすげえ嬉しいことがやってくると思っているみたいなのだ。
専門用語の長台詞でわけわかんねえと思っても、この企業VPでグランプリを獲ろうとつぶやいてみると、不思議なやる気が湧いてきて乗り越えられる。
オーディションセブン改良版、 使ってみますね。
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2015年9月24日 (木)
シナリオ200回
渡辺えり著のエッセイに故三國連太郎氏が自分のデビュー作の拙さに2作目から映画200回、舞台は400回台本を読んでから臨んでいると書いてあった。舞台の本読みで、三國の台本だけが既にボロボロなのを渡辺が気付いて、三國にその話を聞いたそうだ。

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2015年7月 8日 (水)
2015年4月20日 (月)
無意識の代弁者
「嫌われる勇気」という本が素晴らしく面白かったので、
岸見一郎著の「アドラー心理学入門」も読んでみた。
読んでいてポロポロと涙が出てくるのは、真実だからだろうし、
自分は、縦社会の中で、横社会の住人となろうと決意していたのだと
アドラー心理学は教育学、子育て論として展開しているようだが、
心を解明しようと、フロイトとユングとアドラーが三様にアプローチした。
人生は物語ではなく、ダンスを踊るようなものと言うアドラー。
これを俳優メソッドに活用することで、自分の人生は大きく変わるだろう。
そんなことをこれから記していきたい。
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2015年4月 6日 (月)
オーディションセブン
自分が今どこに居てどこへ行きたいのかは自分にしか判らないが
来たオーディションにはとりあえず受かりたい。
審査員達の待つ会場に向かう時、何を準備すればいいのか。
会場に入って、何をすればいいのか。
終わって、帰る道すがら、何を考えればいいのか。
そんなことを考えていたら「ポイントで7を出していけばいい」と答えが降りてきた。たぶん、それは正しいのだろうと思えた。
順番に一つ一つのポイントでスロットを回し続ける
潜在意識の主人として意識的にコントロールする
それは回る潜在スロットを止めて、これだと選びとって行く瞬間の意識だ
①自分のイメージ
自己紹介してクルクル回りながら、わかりやすくプロフィールを伝える。まずキャスティングさんが自分にあると思って呼んだイメージ、例えば上品さ、重厚感、優しさ、清潔感等、それが 7 であること
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2014年11月 6日 (木)
新・ラヂオ小説
前の黄金ラジオのサイトが1GBを超えたため、閉鎖になってしまった。
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2014年9月 9日 (火)
劇団milquetoast+lab.4 ゲキミックス in新中野ワニズホール
もう始まってしまったけど、今回かなり面白い。かなり興奮。かなり楽しい。

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2014年6月12日 (木)
立原正秋
「牟田さん、立原正秋の朗読やりませんか?」とある人が言った。その人は僕と初めて逢った後、たまたまテレビ番組で熊澤南水独り語りと言うのを視ていた時に「牟田さんが立原正秋を着物着て朗読するのがひらめいちゃったんです」と言う。
その人はそれからも朗読をやったら良さそうな古い商店街のおしゃれなカフェを見つけましたとか、45分じゃないと駄目だって南水さんは言ってましたとか、ちあきなおみの冬隣観ておいて下さいとか、逢う度に僕を導いていく。
それではと僕はアマゾンで古本を十数冊取り寄せ、その中から読むと一時間程の短編を45分に削り、来る朗読会に備えた。
立原正秋は40歳頃文壇に登場し54歳で亡くなっているので、その全作品もやがて読み終えてしまうが朗読という形でこれから先ずっと関わっていきたいと思う。
黄金ラヂオと言ってまたキトクな方がネット配信の場を提供してくれたので僕の一番好きな立原正秋の短編「春の死」45分版を10分割して朗読することにした。その後も「薪能」等の短編や著名な長編も朗読し続けていこうと思う。
乗馬の基本は馬に精神的に負けないことだと言うが朗読も作家の精神を再現出来るかということなのだろう。日本が滅亡することを願いながらも日本の美しさに振り上げた手を止める、そんな立原正秋の精神性を捉えることが出来るのか。
そしてそのひらめきの立原正秋朗読会の日を迎えることが出来るのか。
まだまだこれからだ、53才の僕。
P.S リンクついでにこころポートレートから
「牟田父親CM」で検索して来て頂いた方に
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2014年6月 8日 (日)
現場に馬を連れてって
前のブログに「人馬一体は幻想である」と否定的に書いたが、それがどうにも気になり、やはり前向きに「人馬一体は夢である」と考えようと思うようになった。
これは「自分の才能を発揮した人生をおくりたい」とか「悟りたい」とかと同じことだ。
馬が何を考えているのかはわからない。ただ、きっと馬はこう考えていると思っている自分がいるだけだ。馬の持つエネルギーを乗り手が自由にコントロールしようとする時、馬とは自分のエネルギーであり、自分の潜在能力と同じものだ。つまり、馬を見ているようで、自分自身を見ているのだ。思うがままにならない馬は思う通りにならない自分の人生であったりする。乗馬なんて出来たって俳優の仕事には繋がらないよと思うのも、俺は俳優でやっていけないよと思ってるみたいなもんなのだ。
乗馬のブログや記事を読んでいると、競技会や跳躍等の時に一体感を感じた、恍惚感がやって来た、ライダーズ・ハイ状態になったという話に出会うし乗馬それ自体がそれを求めての行為なのではないかとも思う。
俳優は撮影現場に我が身ひとつを持って行けばいいのだが、本番の時には演じる人物をコントロールしてみせなくてはならない。人馬一体というより、馬人一体というか変なことを気にしたり緊張したりして馬が走るのを邪魔してしまえばNGだ。
勿論、馬が暴れても、走らなくてもNGなんだけど。
目の前の馬と付き合って前に進む道を探るほか無いのだ。
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