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2008年6月

2008年6月29日 (日)

流れているという感じ

芝居がいい時にはあって、よくない時には無いもの
いろいろとあるのかも知れないが
この「流れている感じ」はその代表格だろう。
気持ちだとか感情がというだけではなく
風が流れていたり、水が流れているという
内面的な実感をスタートの声を聞く時には感じていたい。
カットがかかるのはすぐなんだけれども
そのずいぶん前から来てそしてそのだいぶ後まで続いてく
何ものかが流れていってるのだということにしておきたい。
そう言えばカメラさんは「回った!」って言うんだよね。
そろそろテープの時代も終ってハードディスクに録画って
ことにミンナなるんだろうけど、そうなってもやっぱり
「はい、回った!」って始めてくれるかなぁ
やっぱり、ドラマは流れだよね。
なんか引き返せないものやり直せないものが
回り出しちゃうんだって思う。
今日の撮影は結構流れてたな。
胸がしくしくした。ドーパミンとかアドレナリンとか
胸の辺りを流れていったような、あぁとっても幸せ。

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2008年6月20日 (金)

人格

俳優力ということで項目に分けて書いてきたけれど
人格 という大きなテーマで締め括ってみたい。

「俳優はその人格以上の役を創造することは出来ない」
と滝沢修が「俳優の創造」という本の中で言っていた。
自分と役をこれほどきちんと考察した本を僕は他に知らない。

人格は変えることが出来る。はずだ。
役者はやめることが出来ても人格は一生離れられない。

例えば僕は熱中時代の水谷豊を観て教育学部へ進学した。
結局中退して教師には成らなかったけれど。
市村正親氏は滝沢修のスパイゾルゲを観て役者を志した。
スパイには成らなかったんだねぇ。

人がその人生を懸けるほどに憧れ、目指すその人格。
作家や監督がその作品は自分だ、と言うのとまた違う。
まさにどうしようもないその人格が作品として鑑賞されてしまう。

役者はやめることが出来てもと書いたが実のところ
その考え方、感じ方、獲得してきた生き方をもう変えることは出来ない。
役者として世界を観ることをやめることは出来ない。

僕らはオーディションで演技を競う。ある者は仕事を得るだろう。
また僕らは現場で出来うる限りの精一杯の演技をする。
ある者は評価され仕事を増やすだろうしそうでないこともあるだろう。

人に評価され決められてしまうその仕事に不自由感を抱くこともある。
このまま役者で食べてゆけるのかと将来を不安に思うこともある。
けれどもそんなことも関係ないこころのどこかで

この自分の人格を見据えてノミと金づちを構えることのできる
今回の人生をこの上なく幸せだと思うところがあるのだ。
そしてそれは凄いものが必ず彫り上ることは既に分っていたりするのだ。

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2008年6月17日 (火)

接する人々への敬意

大きければ大きい程いいわけで
オーディションで始まる仕事はもちろん
その他の仕事も、敬意を持って始まり、
続きそれがレギュラーということになれば
さらなる愛情も自然にこめられ高まっていく。

スタッフキャストには夢や情熱にあふれた素敵な人が沢山いて
そんな人達と現場で作品を創っていけるのは楽しく幸せなこと。
それはただ流れに乗っていけばいいだけのことで。

まぁ問題は、気の合わない方とどう接するかということ。

呼んで頂いた貴重な現場で俳優はその命を投げ出す。
たとえ、軽薄な扱いを受け恥辱にまみれようとも。
忠誠を誓う家臣のように作品という王のことだけを考える。
解釈や意見や価値観が違うのはしかたがないこと。
分かり合う余裕があればいいけど、まぁ普通ないよね。
感情的におなりになるのも当たり前のこと。
大きなお金や将来や評価もからんでのことだし。

放つ敬意ビーム波は大きければ大きい程いい。
このビーム波が撃てない俳優は生延びることは出来ない。

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