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2008年12月 9日 (火)

理由

9月1日に書いたきりになっていたこのブログ。
何故、3ヶ月書かなかったかの理由から始めよう。

9月7日。父親が肺ガンで亡くなった。
1月に余命一年の告知を受けていた。
母親はいわゆる認知症となっていた。

手続きや整理をし
49日、納骨を終え
母の施設を決め
住居を片付けた。

先週、あぁ一段落ついたかなと思えた。

父のことを考えた。
昭和5年。福岡県企救郡生まれ。
8才で父親を亡くす。
母親の再婚のために佐賀県小城郡三日月町へ。
古賀姓から牟田姓へ
妹、弟ができる。
義父も亡くし
終戦を15才で迎え、社会に出てくる。
その復興、高度成長を支えた仕事が激務であったことは想像がつく。

優秀であったが、進学を諦め妹弟の食いぶちを稼ぐ。
他に選択の余地の無い、苦労という名の青春であった訳だ。

その後、台湾を引き上げてきた育ちの良い母と昭和29年に結婚。
極貧の中で僕達3人の子供を作り計8人の生活費を1人で稼ぎ続けた。
佐賀の自宅の近くの段ボール工場。
中卒入社、以来50年近く勤め上げる。
転勤と出世を重ねて家族を育てた。
それを支えてきた心情は時に愚痴となって僕らに話された。
父の弟は父の夢を引き受け九州大学工学部を出て鹿島建設に入った。
3人の子供は皆、夢だ、やりたいことだと上京してしまった。
サラリーマンの父は辛そうだったから。
誰もサラリーマンにならず、それを父も許した。

思い出すエピソードがある。
父も東京出張の時は嬉しそうだった。
銀座だ銀座だと、はしゃいでいた。
僕ら兄弟が皆佐賀から東京に出たのも
銀座銀座とはしゃぐ父からの影響があったのかも知れない。
大学を中退して僕は役者を目指し上京し
何年もアルバイトに明け暮れていた。
父は既に退職していたころ
銀座の雑居ビルの中に
父の佐賀の工場の東京営業所を見つけた。
その汚いポストにマジックで書かれた父の会社名を見た時の気持ち。
父はここにやって来ていたのだ。
佐賀から東京へそして華やかな銀座の片隅の汚い雑居ビルのこの一室へ。
父の人生の重さを感じ、銀座の雑踏で僕は泣いた。
もちろんこのことは父には話していない。

父は東京に出て来て、中古レコード屋の店長となった。
以来17年。僕が親孝行だったのは、だからかも知れない。


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