« 2009年10月 | トップページ | 2009年12月 »

2009年11月

2009年11月25日 (水)

舞台

その時を境にして、自分が変質してしまう体験がある。
それ以前とそれ以後の自分が明らかに違い、
しかも元には戻ることのない体験である。

例えば、僕は37才で息子が出来た。
その時以降、僕はお父さんというものに変質した。
これは分かり易い例である。

同じような事件が2年前に起った。

僕はセメント金魚という劇団の舞台に立っていた。
1ヶ月の稽古を順調に終え、
11月27日から始まって12月2日まで
合計9回の公演であった。
その7回目、土曜の昼を終えた、夜公演の最中。
僕は長台詞の途中で、しどろもどろとなり、芝居を台無しにした。

僕は出演者としての責任をはたせなかった。
何に気を取られたのか。
それは不謹慎な気の緩みだったのか。

実はその回には僕のある大事なお客さん達が来ていた。
逆にその回を満足出来るものにしよう、
面白いものにしようという意識は活発であった。

芝居は、選挙に落ちた立候補者事務所に次々とやって来た支援者達が
家族的な親密な人間関係の中で嘘や秘密を隠しながら
推理され暴露され、発見し大切なことを再認識し吐露する
笑いあり涙あり歌あり踊りありの
ボケて突っ込むハプニングシチュエーションコメディ。
僕は「武間晋太」という支援会の会長でありながら既にもう
運動会や歌合戦の方を嬉々として準備している、言えばボケ役の一人であった。

僕の意識は「晋太」とこの話を初めて観る観客の二つを同時に辿って行く。
つまり、いかなる晋太がどんなつもりでこうなったりああなったりするかを積み重ね、
結果、観客にはこれこれこういう話として受け取られるはずだというのを
毎回想像して演っているのである。

これは舞台役者としては当たり前の意識である。
問題はいざ自分の長台詞という時に芝居全体の新しい解釈がひらめいた時の対処だ。

これから自分が辿って行く予定の解釈よりも面白い解釈がひらめいた時
その解釈を検証してみたい欲求と闘うのは進行中の芝居を大事にしようとする意識だ。
しかし長台詞と言っても晋太は虫眼鏡で演説の原稿を見ながらやってみせるというくだりである。
僕はその時その検証を一旦、晋太に許したのである。

それは丁度アドリブで観客を笑わせた役者が元の筋に戻れず四苦八苦するのに似ていた。

選挙に負けた事務所で応援演説を皆に晋太はどんなつもりで披露するのか。
その魅力的な解釈はその場に納まらずその後の芝居全部に影響するものだったのである。
飛び出した僕はそれに気付き、そこで躊躇し、尻込みした。
意識が戻ってくる間、僕は右手の原稿を読むことも出来ず、しどろもどろになった。

その時の失敗の言い訳をしたくてこの文章を書いているのではない。

僕を変質させる体験と言うのはこの後にやってきたからである。

その芝居が終ってしまえばそのひらめきが面白かったのかどうか、など問題ではなく
ただ、芝居をぶち壊したことだけが問題となる。
僕も大いに自分を責めた。
新しい解釈自体とそれを許した自分を責めたのである。

翌日は最終日で昼夜2回の公演が残っているのだが、眠れるはずはない。

僕はその時の芝居を振り返りながら自分自身と対話した。
なんでこんなことになったのか。
夜中、僕はその新しい解釈を静かに検証した。
なるほどそれはそれまでの解釈を刷新する魅力的で生き生きとした晋太像であった。
気付いてしまえばもう前の解釈には戻れない。
自分自身は悪びれた様子も無くその新しい晋太を嬉々として演りたがっていた。

わかった。おまえは悪くなかった。
尻込みした僕が、間違っていただけだ。

その時の流れ出るエネルギーの感触を
それ以来、僕は忘れたことはないし、
これからも忘れることはないだろう。
その昼公演と夜公演、僕は自分自身と一体化した。
僕は龍の背に乗っているだけでよかった。
スピーディな芝居のはずだったが、そのひとつひとつが愛おしく感じられた。
最中から始まった恍惚とした快感は終った後もしばらく消えずに僕を包んだ。

僕はセメント金魚と共演者に深く詫び、そして深く感謝した。

さすがにその次の公演には呼ばれなかった。
が、縁あって来年2月にまた

セメント金魚の新作の「舞台」に立つことが出来ることとなった。
今度は計10回公演。僕と自分自身が登るべき舞台は もうすぐだ。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

« 2009年10月 | トップページ | 2009年12月 »