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2010年12月

2010年12月24日 (金)

三度目のセメ金

Semekin3

来年になるとセメント金魚の舞台稽古が始まる。

2月になればだいたいのことが

舞台が終わったらね、と後回しにされる。

何よりも大事な芝居。

と本番も近くなるとなってしまう。

なんてね、今回は気楽に構えているんだね。

前回も、前々回も必死だった、命かけてやってた。

もちろん今回もいろんな意味で命がけの舞台になるだろうけど。

またセメ金ブログも毎週火曜の、この前から3月の公演が終わるまでの更新となる。

金魚の写真にリンクしましたので! はい、よろしく!

舞台に関係することはそちらに書きこむとして

このブログは セドナメソッド演技講座 というテーマを加えることにした。

いつかマッシュレコードの店内ステージを使って

「オーディション完全攻略セドメドワークショップ」を開催出来るよう

日々思いついたメモをこのブログに残していくつもりだ。

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2010年12月17日 (金)

ジグゾーパズル と オーディション

Rassen

パズルをハメていく時に思うことは
そのままオーディションを受ける時もに役に立つ。

はまらないことを気にしない。

 よく何人かでやると、ピースをはめようとしている誰かに「それ違うよ、ほら!」
 などといらんことを言うことがある。
 違っていること、はまらないことを他の人は勿論、自分でも取り上げて気にすることは
 百害あって一利なしであるとパズルをやったことのある人なら皆んな感じているだろう。
 そうなのだ、オーディションに落ちることはそれと同じだ。
 はまらないなとイライラするなんて何のためにパズルをやっているんだ。
 落ちたオーディションはスッパリ忘れる。
 受ける前も落ちるかなとか、こりゃダメだと
 いらんことを気にすることで得られることはまったく無い。

似たピースはくっつく。

 色や模様が似ているピースを見つけて集めておくとはまる。
 そのオーディションがどういうモノなのかがわかれば
 自分のイメージがその作品と同じようなものであれば
 その製作チームとくっつくことが出来るだろう。

ピースはその中の一部分である。

 パズルがはまった時には、あそ〜かコイツここのこれだったんだという感慨がある。
 自分の中にオーディションに呼ばれた役に相応しいものがあるはず。
 その自分の一部分は今回の作品全体のやはり一部分になれるはず。

すべては繋がっている。

 ひとつのピースが四方のピースと繋がっているいるように
 自分もこのオーディションという場で出逢う人々全てと交流することが出来る。
 キャスティングさんと交流し審査員の皆様と交流する。
 自分がどういう人間かを知らせると同時に
 彼らもどういう人間かを知らなければならない。

どこかに必ずはまる場所がある。

 ジャラジャラとピースをかき回してるばっかりで
 こりゃ一つも入んないよと思う時もある。
 しかし、完成してみれば、あれはここだったし、これはあそこだったのだ。
 あきらめなくて良かった。こうして立派に出来た。
 オーディションもそうだろう。
 めげたりあきらめたりする必要はない。

すっとハマる感じが最高。

 未だ未完成のパズルを眺め、置いてあるピースを眺めていると
 すっと手が動いて、くるっと回し、すっとはまる時がある。
 この感覚こそがオーディションの自分の演技を形成する時に大事なのではないか
 と思ったのがこのブログのキッカケだったんですよね。

わかるところからはめていく。

 まず周りからとか、字が書いてあるとこからとか、パズルはそう作っていくしか無い。
 オーディションも得体の知れないわけわからないどうすることも出来ないものと
 何の戦略も計画も立てず順番に並んで受け流してしまうことも出来る。
 しかし、できると思ったことは積極的にやろう。
 

写真は玄関に飾ったラッセン「永遠の一瞬」

僕がジグゾーパズルを買ってるとこはここです。はい、安いので。


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2010年12月 4日 (土)

修正という課題

日常的に俳優が直面する課題にセドナメソッドをどう使うのか。
その現場での緊張感をより感じられるように
すこし大げさに考えてみよう。

撮影現場を作るのはスタッフだ。
彼らは撮影されて表に出たりはしない。その準備を黙々と続けている。
スッタフ一人一人にそれぞれの仕事とその能力や価値観があって
現場へやって来る俳優はまず最初に、彼らと比較され認識される。
後で他の俳優とも比較評価されるが、まずは、自分という物差しで測られる。

◯◯役の俳優の仕事ぶりはそこにいる全てのスタッフに必ず評価判定されている。
何故なら自分達スタッフも評価判定される存在だからだ。
自分よりもましなのか、たいしたことないのか、
スゲーなぁなのか、何やってんだなのか。
それぞれが内面的に判断し、時にはそれぞれに態度として表現される。
プロデューサーなりに、監督なりにカメラマンなりに、
またそのアシスタントなりに。

まずそんな前提が現場にはある。

俳優A氏が他の俳優とあるシーンをリハーサルする。
台詞は入れて来ていた。声も響きのあるいい声で滑舌も滑らかだ。
俳優Aはそこまでの評価はされる。
しかし、演技にシーンのリアリティを拡げるものはあるだろうか。
動きが決められた。
本番の前にテストが行われる。
俳優の演技はそこから監督の修正を加えられる。

監督が台詞の間と動きのタイミングを修正した。
「よければ本番で」

俳優に与えられた時間は30秒程。

本番。
すると修正した辺りの台詞が途中で飛んでしまう。

テイク2。
台詞は途切れなかったが、間とタイミングの修正はされてなかった。

「なんだ修正できないのか」という沈黙。
「もう一本やらせてください」監督は自分の責任でテイクを重ねる。

テイク3。
俳優は修正した間とタイミングどおりに台詞を途切れさせずにやりきる。

「…O.K…」という監督。
このシーンのリアリティがこの時決定される。
監督の印象として残るのはこのリアリティレベルと一連の作業の円滑さだ。
そして監督は自己責任を持ってこの印象をその俳優の価値にすりかえる。


現場に持って行った自分の演技がどれくらいのリアリティレベルを持ち、
それが現場でどの程度の安定感をもったかが、俳優の価値であり値段だ。

別のベテラン俳優Bの安定した感情的長台詞の一瞬一瞬が
現場をどれだけ助けていたことか。
修正を受け、カメラの動きを変えてもそのリアリティは毎回変わらなかった。

一連のプレッシャーの中で俳優の内面で行われるの30秒間の作業。

セドナメソッドに何が出来るのか。

まず、自分の演技に付けられた修正を受け入れること。
自分の中に修正への不満や疑問や批判があれば
それは必ずリアルな演技を邪魔してしまう。
監督の修正を自分が思いついたことのように受け入れ
疑問も違和感もセドナで手放してしまう。

練習していたものと違う新しいトライに不安も感じるかもしれない。
失敗するかも知れないという危機感を手放す。

セドナメソッドは緊張をエネルギーに転換することができる。

緊張が大きければ変換できるエネルギーも大きくなる。

死にそうな目にあった人は死にものぐるいという大きなエネルギーを出すことが出来る。

「このプレッシャーを手放せますか?」

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