目覚め
楽しかった大学生活。
「こんなことがあった」シリーズを考えていると
大学でのいろんな出来事が思い出されて楽しくなる。
教育学部教員養成課程だったから
地元の小学校の先生になるものと誰もが思っていた。
その頃は採用状況も百%だったから
先生ではなく、役者になるという選択は
ただ自惚れていたのだろうし
社会を甘く楽観していたのだろうとも言える。
だだ、大学の演劇部で僕はやっと自分自身と出会った。
遅ればせながら、ここで僕はやっと目覚めたのであった。
文化祭の出し物だったと思う。
イントレ(鉄パイプ)とブルーシートで芝居小屋を作り
いくつかの寸劇を上演していた。
僕はチャオリンという中国人のオバサンのストリッパーだった。
むちゃくちゃな中国語をしゃべって観客にからみ
着てた着物を脱いでいくという即興パフォーマンス。
ただのコンパ芸のような出し物だったが
演じ始めた瞬間、狐が憑いてしまった。
もの凄いエネルギーがやって来てその場でドラマを作った。
僕はでたらめな中国語で怒り、笑い、泣いた。
意図したものは意識的な作為は何もなかった。
流れの中で僕はチャオリンの身上に怒り、笑い、泣いていた。
すべての着物を脱ぐという瞬間、暗転し舞台に着物だけが残り終わる。
役者には伝えるべき話があり、それを演出している自分も同時にあった。
観客にもそれは伝わった。
見ていて興奮したと僕のチャオリンはしばらく語り草になった。
自分ではないチャオリンが自分を開放した。
演劇ではこれを飛翔或いはインスピレーションと呼び、
充分な稽古という滑走があって初めて
飛ぶことも出来ると考える。
スタニスラフスキーシステムもこのインスピレーションを
どうしたら毎回の公演で得ることが出来るのか
という命題に答えようとしたものだ。
僕の中にすごいキツネがいる。
それは僕にとって、かなり大きな体験だった。
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