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2011年9月

2011年9月28日 (水)

山登り

Isiwari

シルバーウイークに家族で山中湖に行った。
台風15号で湖の水は溢れ、濁流の爪痕は至る所にあったけれども
山中湖周辺では一番高いという1140Mの石割山に登る。

写真は山頂手前にあるパワースポット石割神社の石の字の形に割れた御神体。

この岩の周りを三回廻ると運が開けるんだってよとうちのカミさん。
しかも俳優の祖アメノウズメが踊った天の岩戸という説もある。

そりゃ、登りゃないかんです、廻らにゃいかんです

「なんか山登りってワクワクするね」という息子を連れ
403段の石段を登りロープを伝って山頂を目指した。
「登山ってやみつきになるらしいわよ」というカミさんは
今回、熊よけの鈴と登山用杖を登山ショップで買ってきた。
すると、息子が「何故人は山に登るの?」と聞いてきた。

答えは決まっている。「そこに山があるから!」である。

目の前に山があれば登るしか無く
頂上まで来たら、あとは下る他ない。

何のために?どうして登らなきゃいけないの?というのは愚問である。
その答えに上り坂を後押ししてくれるパワーは無い。

それはまさに、何故人は生きるのかと問うようなものだ。

僕がかじった哲学では「何故人は…」という問いかけに対し
「人は人生に対し問いかける存在ではない」と答えを出した。
逆に「人は人生からの問いかけに答える存在である」というのだ。

人生からの問いかけに答えるというのは
どういうことだろうと石段を登り、
こういうことかなとロープをつたって斜面をよじ登る。

問いはいつも、目の前に立ちはだかっているのだから。

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2011年9月21日 (水)

集中筋

走っていると手持ち無沙汰なように
「意識」は目に見えているものを追い
時に過去の記憶に戻り、また先行きの想像に一喜一憂する。

意識が何に焦点を合わせているかに依って、走りは変わる。

走っている時はこの今の身体に意識を集中させやすい。
でも足の痛みを意識すれば、速度を落とそうと思う。
胸の息苦しさも、横っ腹の痛みも、もうこの位でやめとこうかと提案する。
そんな走りを制限することしか思いつかないのならば、
意識を周りに向けて気を紛らわせていた方がましだ。

けれども、背筋を伸ばし自分を走らせているエネルギーに気づけば
身体も気分も軽くなって、まだまだ走れる
もっとスピード出してみようかと楽しくなる。

今ここの、このエネルギーに集中する。

「ベストキッド」でジャッキーチェンがジェイデン・スミスに
気をそらすな、常に集中していろと言っていた。
カンフーはまさに闘いのエネルギー。
どう戦えばいいかもすべてエネルギーが知っている。
そのエネルギーに常に意識を持ち続けろというわけだろう。

このエネルギーには情報もくっついている。
電気みたいに、光ったり、発熱したり、動かしたり出来る。

芥川の「戯作三昧」で滝沢馬琴が流れる光を小説にしていった様に
そのエネルギーは深く何を書けばいいのかも知っているし

歌だって楽器だって、操縦だって何だってエネルギーに乗っかった方がいい。

エネルギーが流れている人を見ると、自分も元気になる。
誰もが自分のエネルギーと同調すればもっと皆な楽しくなる。

弁天さんの「信念」は?という問いかけに答えるとすれば

僕の中にあるこのエネルギーを意識的につかめる俳優で在ることで
観たみんなが各々に自分のエネルギーに満たされたらいいな、と思う。

僕にはセドナメソッドがあるし
エネルギーを制限するものはひとつひとつ摘んで手放せる。
あとは、集中し続けられる筋肉。
それがついてれば、それを日常的に鍛えれば、いいのかなぁ。

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2011年9月14日 (水)

シナリオ講座という点

3月の震災で封切り映画館が倒壊し、一般上映を見送っていた
大和優雅監督の「つるしびな」が宮城県大崎市の
シネマ・リオーネ古川で、11/12(土)~25(金)に上映されることになった。

こんなことがあったシリーズで恐縮なのだが
1996年という年は1月の新宿タイニイアリスでの作演出「クロスアンドフライ」上演
で始まり、脚本をもっと上手くなりたいと僕は4月から作協シナリオ講座に通った。

ドラマライターとしてこの時の体験は大きなものだった。

基礎科、研修科と共に学んだメンバーは皆強者ぞろいで
僕の書いていったものは
皆の辛辣な批評で毎回蜂の巣になった。
だが、15年経った今でも交流がある。
それはその12月に僕がそこで知り合って速攻結婚したということもあるのだが
みんながみんな今でも書くことを辛辣に続けているからだろう。

ウェブで見てもらってもわかるがその期はかなりの高確率で皆がシナリオ賞を取り
かなりの高確率で皆がプロのシナリオライターになった。

その一人大和優雅くんは1996年「つるしびな」の初稿をその習作として書いてきた。
はたち、とかだったかな。僕とは品評会の班が違ったので詳しくは知らないのだが
そこで確かな手応えを感じたのだろう。評判はかなり良かった。
今回観てもらえばわかるが奇跡のような脚本だ。
そして15年。
あの時結婚して翌々年生まれた息子は中学生になっている。

かろうじて役者は続けている。
来る12月には大和優雅監督作演出の芝居にも出させてもらえることになった。

シナリオ講座という点

それは僕にとって今も非常にアクティブで刺激的な点だ。

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2011年9月 7日 (水)

願いをひとつ

Mikosama

近所の神社の願いを叶える巫女さん人形。

願わくば…何だろう?

何か強力そうな巫女人形

さぁ、願いを叶えますよ!
と言うことになって

僕は何を求めているのと戸惑う。

お願いを間違えないように!

焦っているのは歳のせい?

今、僕を妨げているのは何?
幸せに好きなように暮らしてて、
ここには何が無いあれが無いと、探しているの?
感じているのは内?外?

えーとつまり、もっと、と言うことかな。

もっと年収を上げる
もっと家族にいい暮らしを
もっと売れてる役者に
もっと大きな役をやらせてもらおう

勿論、役者人生は後戻り出来ないけど
行けるとこまで、たどり着くだけ。

何か自分自身が求めていることが
実は自分で判っていないんじゃないの?
もどかしさはどこから?

過去の点をつないで線を引けと言うジョブズの指針にドキリとして、
なんか外れてしまったように思うのは何故?

外の何かに焦り、内の何かを諦め、外の何かにすり替えようとしてる?

自分は何がわかるようになったの!?
どんな大人に成りたかったの?

願わくば!願わくば!

妨げているものを飛び越えて僕に、天啓を


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