声
寒い日が続くせいか、息子のインフルエンザのせいなのか
長台詞のある仕事の前に、喉が痛くなってしまった。
幸い、少し普段とは違うものの逆に低い響きのある声が出て、無事に終わった。
声の要らない仕事もあるが、俳優にとって、どんな声を出すかというのは常に大切な問題だ。
キャラクターのある俳優はそのキャラクターらしい声を出せば
例えばいかつい声とか軟弱な声とかで現場はスムーズに行く。
演技している時、自意識は出す声を毎回きちんとチェックする。
滑舌はどうか、響きは、イントネーションは?
自意識のチェックはこの程度だ。おっ響いてるじゃん!とそれだけで満足する。
役によって、台詞によって、声は変わる。
声は思いであり、エネルギーだ。
自意識で制限されるべきものではない。
たとえ、芯のある響きのある魅力的な声が出たとしても
その声は全ての思いを表現できない。
自分の声を制限するもの。
まずそれを手放し、取り除く。
自意識の満足を手放すことで次に行ける。
思いを 聞こえるものにするのだ。
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コメント
ではまた(=゚ω゚)ノ o(_ _)oペコッ
投稿: 宮本九里子 | 2012年3月25日 (日) 01時31分
宮本九里子様


ありがとうございます
おかげさまで希楽星が何人か出演しておりましたね。
さすがです!
どうぞ、宜しくお願いします
投稿: ミュウ | 2012年3月26日 (月) 12時18分
こんにちわ。

ひさびさ登場です!
はっ…Σ( ̄ロ ̄lll)と気づけば、年明けからもう三ヶ月あまり…。
こちらも忙しくしておりんしたが、ミュウ殿のさらなるご活躍も、
楽しみにしております。
さて…。
私の最近の教訓の一つに抵抗しない、逆らわないというのがあります。
自分の目の前に現れる出来事、いい事も悪い事も嬉しいこともきつい事も
いろいろありますが、これはいるけど、これはいらない…そんなふうに自分で選択しているつもりでも、なんかうまくいかないこと多かったです。過去には。
それで、ある時ふと思いました。
これはもしかしたら、いい事も悪いことも、とりあえず自分の前に現れる事は、全部引き受けなきゃいけないんじゃないかと。選べないんじゃないかと。私にとって、必要な経験だから、きてるんじゃないかと。
それが一見割に合わない出来事でも、そこから学んだり気づいたりする必要があるから、今、自分にきてるんじゃないかと。
めんどくさい仕事や、人間関係、それこそ収入がなかなか上向かないなんて事も。むしろ、やっかいなことほど一度腹に落ちるまでに、しっかりガッブリ向きあってとりくまなくちゃいけない事だから、来てるんなんじゃないかと。
そうして、きつくても受け入れて、じっくり取り組んでみると
あとでそれが素晴らしい恩恵だった事に気付くこともあります。
それを制覇したら、でっかいハナ丸がついて、なんかしらん自分がものすご成長しとるような、すがすがしい気持ちを味わう事があります。
またもや一つ案件をくクリアして、今、なんとなくそんな気分です。
状況が変わらなければ、自分が変わるしかない。
待ってても動かないなら、自分が動くしかない。
人はちゃんとむきあわなきゃいけない事を、うまいこと自分の人生のなかにひきこんでるんじゃないかと思います。
どんな変化も、いい、悪い、じゃなくて、
自分にとっての宝物だということを実感しています。
ではまた〜
投稿: 弁天 | 2012年4月17日 (火) 15時13分
弁天さま〜
お疲れ様でした
呼ばれなければ仕事はない
それまで、ただひたすら待ち続ける私らが
おそらく最後まで持たなくてはならない
忘るべからずの基本の初心。
それが弁天さまのおっしゃる
全部引き受ける、すべて受け入れる
ということでしょうか。
私はよく忘れて思い上がってしまいますが
鴻上尚史の演技本に「あなたの人生はこれでいいのかと芸術は挑発し、あなた人生はこれでこれでいいのだと芸能は慰めてくれる」とあって、色々と納得しました。
弁天さまもパスしときたいことを挑発として受け入れ取り組みそして飲み込んだのですね。
それは、必ず癒される。
何故なら私たちは芸術と芸能の間にいるからです。
頑張って歩き続けて行きましょう
投稿: ミュウ | 2012年4月18日 (水) 18時37分