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2015年9月24日 (木)

シナリオ200回

渡辺えり著のエッセイに故三國連太郎氏が自分のデビュー作の拙さに2作目から映画200回、舞台は400回台本を読んでから臨んでいると書いてあった。舞台の本読みで、三國の台本だけが既にボロボロなのを渡辺が気付いて、三國にその話を聞いたそうだ。

僕もこれを知ってから台本は読めるだけ繰り返し読んできたが
100回を越えたなと思ったら後は数えていなかった。
今回、幸運にも短編映画の台本を早くから頂いたので、正の字を書きながら200回を目指して読んでみた。
撮影は感慨深く終わった。
はてさて、200回読むとは何なのだろう?
「事実などない、あるのは解釈だけだ」と言ったのはニーチェだっけ
役者は出演する台本をどう解釈していくのか。
数多く読む効用は、読む度毎に様々な解釈を発見できると言うことだろう。
舞台の時に、初日お客さんが入って、あ、この芝居そういう芝居だったんじゃないか!と解釈をいまさら発見することもよくあるが、
シナリオを読んで、小さなたどりから始まって、大きなテーマ、表現タッチや作者の意図、自分の過去の体験、配役された役者の雰囲気、深く?軽く?イメージと論理性と感情の流れやなんやかやを考えたり、気付いたりしてとにかく色々解釈していく訳なんだけど…
面白かったのは180回読んだ時、あと20回かぁと思うんだけど、やっぱりしっかり読んだ200回とそうでない200回とあるんじゃないかって、じゃあと20回しっかり読もうと思うんだけど、もう追う目もめくる手も全自動になってて、それを上回る集中力を持たないとあっという間に読み終わっちゃう、やべ〜!200回終わっちゃう、なんか全然わからん!って困っちゃった。お、とうとう199だ、200回だ!やった!と達成感はあって、しばらくは台本はいいやってなるんだけど、頭の中でシーンはぐるぐる巡るっている。
何百回も読めば大量の解釈が出てきて、どう解釈しとけばいいのかわからなくなる。そしてその状態でカメラの前に立つこと。おそらくそれが、三國さんの意図ではなかったか。
小説であれば、こんな話だった、だから感動したとかつまんなかったと解釈することが読者の目的となるのだが、役者の解釈は芝居じみてしまう。
その人物は色んなことを考え、その時その場でそんなことを言われて、ふとその言葉を口走ってしまったというリアリティーをつかもうとしていたのではないか。
ある伊丹監督作品のメイキング映像で、三國連太郎は本番に自分でいくつもの課題を設定していてその全てをクリア出来ていないと自分で芝居を止めてNGにしてしまっていた。 大量の解釈を持って現場に入った三國がさらにやろうとしたのは、いくつもの意図といくつもの感情を持ったひとつのアクションだったのではないか。
Nihyaku

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