セドナメソッド

2012年2月15日 (水)

セリフ

去年の二人芝居から台詞の多い役が続いている。
時期的にVPの仕事が多いためだろうが、
三ヶ月常に台詞を練習しているというのは僕にとって珍しい。

三國連太郎さんは舞台の台本を400回、映像なら200回読んで本番に望むという。

真似をしたいがそのためには、常に台本を持ち歩き常に繰り返し読まなければならない。

しかし台本をパソコンで打ち直して、スマホにメールで送れば
それはかなり容易くなる。
一週間前なら一日30回読んでればいいことになるが、意外と楽勝だ。

読んだ台本を録音して、ipodで繰り返し聴いても回数は楽に稼げる。
自分のところを無音にしたりすれば、繰り返し稽古も出来てしまう。

大切なのは、苦労することではない。
読む度ごとにやって来る、イメージとインスピレーションだ。

だいたい十回ごとに、解釈も自然に変わっていく。
そういう意味だろうと思っていた台詞が、また違うインスピレーションを連れてくる。
そして、積み重なっていく。深く重くなっていく。


そう言えば
実生活でも、たった一言の台詞に深く傷ついたり、落ち込んだりすることはある。
その言葉を放った人をいつまでも許せず、傷つき、怒りを繰り返す。
しかしそれはその台詞の解釈を固定化したせいなのかも知れない。

その台詞に傷ついたのではなく、自分のその解釈に傷ついているのではないか。

刃物のような解釈を僕が握りしめているのは何故だろう。

お前のせいでこんなに苦しんでいるんだぞとその人に知ってほしいのか。
あいつは人を傷つけるひどいやつだと誰かにわからせたいのか。


その解釈を手放せますか?
その人を手放しますか?
この怒りをいつ、手放しますか?

セドナメソッドで刃物を手放し、傷ついた手のひらを癒そう。

話はもどるが、自分が言いたいと思う台詞はすぐにはいる。
はいるというのは、覚えて、演技の時に出て来るようになることをいうが
逆に、はいらないのはその台詞を言いたくないからだ。
つまらない台本だ、つまらない台詞だと思っている限り、噛みまくり続ける。


台詞は命、言葉は宝 BY 緒形拳


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